「多様性」誰のため?ジブリ鈴木敏夫の名言から多様性と必要なものについて考えてみた

朝日新聞、8月28日夕刊 国内外での生活
朝日新聞、8月28日夕刊

多様性、ダイバーシティ、インクルーシブ(教育)という言葉から何を連想しますか?
これらは誰のためにあるのでしょう?

シングルマザー?貧困家庭?性的マイノリティ?在日外国人?

先日スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーのセリフを目にして、多様性について考える機会を持ちました。

結論、多様性に必要な要素を個人や組織がもち合わせ行動していくことの複雑さに気が遠くなりそう!ということでした。

「多様性」ってどんなこと?なぜ必要?どのように獲得できる?ジブリの鈴木敏夫の名言をもとに「多様性」について一緒に考えてみませんか。

一過性だった「多様性」というワード

ラグビーワールドカップで日本は盛り上がっていた2年前のことは、どれほど多くの方々の記憶に残っているでしょうか。

私はその当時ニュージーランドにいました。彼の地では、色々な国籍や文化を持つ方と日々遭遇しました。

自分も含め、外見だけでなく、英語の発音からもニュージーランド以外にルーツがある人たちだとわかる人たちがかなりいましたが、だからと言ってある意味で他所のものの自分たちがバカにされたり、騙されたり、差別されたりしたことは一度もありませんでした。

逆に英語をゆっくりと発話し直してくれる、ということもありませんでした(笑)

これがアメリカだったらどうなんだろうなとふと幼少期に住んでいた時のことを考えることは度々でした。

誰もが、何をしても認められる(他者を傷つけない限り)、個人が自由に表現できて、日本とはおよそ異なる解放的な雰囲気で生きている人々の中で、とても居心地の良さを覚えました。

現地でそのような日々を送っていたので、「多様性」・「ダイバーシティ」というワードがメディアで盛んに取り上げられるのを見聞きし、一過性の流行語として過ぎ去るだろう予想しました。

ラグビーワールドカップ日本代表の選手たちの多様な背景(国籍・文化など)=多様性と捉えている節が見え隠れしていたからです。もう少し踏み込んだ伝え方があっても良いのかなと。

ワールドカップ終了後、コロナ到来が拍車をかけた形となり、このキーワードは吹き飛んだと言っても過言ではないと捉えています。

でも、簡単にフェードアウトしてしまうのには理由があったのです。理由を紐解いてくれたのは、鈴木敏夫さんの掲載された新聞記事。内容をみていきます。

多様性と遭遇!~ジブリプロデューサーの言葉~

朝日新聞、2021年8月28日夕刊。ジブリの鈴木プロデューサー(以下:鈴木P)へのインタビュー記事。

会話のベースになっているものは『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言。』という本で、鈴木Pの仕事に対する哲学が繰り広げられています。

多様性の良さや、それを下支えする構成要素、そして多様性の本質を突くお話が短い中にも凝縮されて詰め込まれていました。

お断りしておきますが、記事中には「多様性」という文言は一度も登場していません。私の独断で、多様性につながる話だと解釈させていただいた、ということを前提にこの先お付き合いくだされば幸いです。

鈴木敏夫さんのお話・そこから考えたこと

鈴木Pのお話から、大きくわけて三つのことをメッセージとして受けとりました。

① 多様性の本質(組織と個人の役割)
② 多様性の要素その1(他者を認める寛容社会~『十五少年漂流記』~)
③ 多様性の要素その2(謙虚な姿勢、それに欠かせないもの)

① 多様性の本質

人には人の、組織には組織の、それぞれ役割がある。

  1. それを「認め・受け入れ」ること。
  2. それを可能にする「潔さ」

「あなたはあなたのままで良い!」

これこそが多様性の本質的なメッセージ!と思わず膝を打ちました。裏付けとなるお話を紹介します。

一つ目はインタビュアーのコメント「鈴木さんはいつも人から求められたことが仕事になっていく印象があります。」に対する返答。

「だって監督って自己中心的でないとできないでしょう。そういう人にはなりたくないから。」

朝日新聞、2021年8月28日夕刊

監督=映画監督の「宮崎駿」なわけです。初めに読んだときは、「宮崎監督を自己中って言うてる~!!」と心の中でクスっと笑いました。

ところが改めて読み直して気づきました。このセリフは、多様性に必要な「寛容性」・「潔さ」の2点を象徴しているのです。具体的には以下の通り。

  1. 宮崎監督と自分が担っている役割が異なると「認め・受け入れ」ていること。
  2. 宮崎監督の役割は鈴木P個人にとっては理想の姿ではないものの、その存在を認める「潔さ」

二つ目に裏付けとなる話は、ジブリの際どい内情に関わるお話です。働きの悪い社員を(ジブリから)排除しようと要求する別の社員の話を例に、「弱い人も組織の中には必要」と言い切られているのです。

個人に対する単なる愛情深さという側面だけでなく、組織では一人一人の個性を認める必要性があり、それを受け入れる潔さも持ち合わせていることに気づかされます。

不思議なことですが、鈴木Pからしたら何者でもない私にまで「このままで良いのだ」”潔く認めて”もらえるような気持になり、励ましと勇気までもらいました。

何よりも「弱い人も組織に必要」という概念が日本社会において浸透していないことを残念に思ったのですが、読み進めていくと、浸透しにくい理由も具体的でわかりやすく話をしてくれています。

② 多様性の要素その1 他者を認める寛容さ

寛容というキーワードをもとに展開されていった話が「十五少年漂流記」を例えにしたお話。

「ジュール・ヴェルヌの十五少年漂流記には、完璧な少年が一人も出てこない。実は組織づくりをするときにも、それが理想です。」

「弱い人も、組織の中には必要だ」

「才能のある人ばかりで映画を作るのは不可能です。数人の才能のある人と、誠実にこなしてくれる人の両方が必要で、組織の雰囲気としては善良で誠実な人たちが大勢を占める。」

朝日新聞、8月28日夕刊 より

確かに「十五少年漂流記」には才能豊かな少年も登場しますが、それはわずか。

この物語は全員が「抜けている」子どもたち。でなければ、次々事件や問題が起きるわけがない(笑)

とはいえ、この「子供版冒険物語」の面白さは、そういう抜けている子たちそれぞれが知恵を出し合い、個性をぶつけ合いながら難局を乗り越え、解決につなげていくことに凝縮されているのです。

鈴木Pは、自身の目指す組織のありかたや「多様性の許容」(私の推測)を、この物語の人間模様に例えているわけです。

個性豊かな少年たちのサバイバル物語での人間関係を、実際の組織づくりの引き合いに出したことはアッパレです。一見形は異なれど、組織運営って少年たちのサバイバル物語のようなものなのかもしれません。

この物語を「理想の形」としているのは、手本となるイメージとして持つことに意味があるからでしょう。良いイメージがあることで、ともすると他者批判に走ったり、不寛容の極みに陥る可能性を排除できるのかなと想像しています。

最後に「寛容の極み」と思われるセリフをご紹介します。

「しかし、ときどき出てくる才能のある連中は、色々あって出て行ったり、戻ってきたりする。宮さんも僕も、ジブリはそれが良いと思っています。」

朝日新聞、8月28日夕刊 より

ここで言う「出て行ったり」という文言はジブリに何かしら不本意に思うことを抱えて退職する人たち。

その人たちが戻ってくること自体にも驚きますが、そのような人たちを再度受け入れる土壌、さらに「(ジブリは)それが良い」とすら公言できることはもっとすごい!

多様性ある組織を端的に語っていますね。

宮さん=宮崎監督のことですが、鈴木Pと合わせてジブリの屋台骨であるこのお二人の巨匠が、多様性のある組織が良い、とおっしゃっているわけです。

このお二人のコンビは正真正銘最強!!心から拍手喝采を送りたい気持ちです。決して容易ではないし、一朝一夕にできることではありません。

話は逸れますが、個人的にはジブリの中でもシュールな視点を持ち合わせている高畑勲さんの作品(以下参照)がとても好きです。

話は逸れますが、個人的にはジブリの中でもシュールな視点を持ち合わせている高畑勲さんの作品(以下参照)がとても好きです。

  • 「かぐや姫の物語」
  • 「おもひでぽろぽろ」
  • 「火垂るの墓」
  • 「平成狸合戦ぽんぽこ」

ご存命中の高畑さんは、鈴木さん宮崎さんお二人からご覧になったらどのような役回りをされていたのか、思いを馳せてみました。個性豊かなお互いを「三者三様でよし!」と潔く認め合っていたのかもしれません。

以上他者を認める寛容さをもつジブリの立役者たちの話でした。

③ 多様性の要素その2(謙虚な姿勢、それに欠かせないもの)

次に多様性に必要な「謙虚さ」についてお話します。

鈴木Pのお話の最後に「謙虚な姿勢」という言葉が登場しています。多様性に必須な要素だと気づかされる展開でした。

そして謙虚な姿勢性とは「想像力」「愛情」が伴わないと存在しないものでもあると痛感させられました。

謙遜文化のある日本では多くの人が既にできているんじゃないの?と思っている人もいるかもしれません。

いくら日本人の両親に生まれ、日本で育ち、褒められた時に「とんでもない」なんて謙遜していても、謙虚な姿勢がない人は相当数いると確信しています。

「謙遜すること」と「謙虚な姿勢」とが全く別物だとわかるセリフを紹介します。

先の著書『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言。』の中で鈴木Pが「エゴの突出を戒める言葉が目立つ」とインタビュアーに指摘されていましたが、具体的には以下の言葉になります。

「何か言おう、言おうと思っていると、人の話が聞けなくなる。」
「自己表現や自分のこだわりに走ってはいけない」
「欲のないところに身を置かなくてはと思っています」

朝日新聞、8月28日夕刊 より

一つ目の「何か言う」ことはコミュニケーションのとって大切なことですが、危険もはらんでいます。自分の価値観での言動を繰り返すうちに、他者を認めるために必要な「想像力」、引いては余裕までなくなってしまうからです。

他者の立場を配慮する余裕と姿勢がなければ、真のコミュニケーションは成り立ちません。

話が逸れますが、「コミュニケーションにおいて想像力はとても大切」という事実を、読んで納得した本があります。詳細はコチラ(酒井邦嘉さんの『脳を創る読書』

言葉が発せられていても、そこに想像力がなければ誤解や対立を生む可能性があると、書かれています。

鈴木Pの想像力は、ジブリ作品の受け取り手である私たちに対してまでも徹底的に及んでいると思っています。見知らぬ私たちをどのような愛情をもってイメージされているかは謎(笑)ですが、おかげで数多の楽しい作品を提供してくださっていることは間違いありません。

そしてそのおかげで、ジブリ作品を楽しめる人たちは国内にとどまらず、海を隔てた外国の人たちにも及んでいるわけです。

「謙遜」ではなく、他者への想像力と愛情に基づいた「謙虚な姿勢」を身につけなれば!と自分のありかたを正される思いでいっぱいです。

というのも…..

自分もまた不寛容だった

コロナ禍で、私もめちゃくちゃ不寛容になっていたからです。余裕も想像力も失いかけていました。

ラグビーワールドカップの多様性フィーバーが一過性に終わることを予想し、その通りになりましたが、直後にコロナ禍突入し、国民の中にはお互いを監視する厳しい目が出現したことは想定外。

マスコミを筆頭に、日本選手たちの協調プレーや協働作業のすばらしさを礼賛した人たちが、コロナの前では右往左往、過剰なまでの自己防衛、引いては政府や他者批判、非難にまで発展していったことは、あまりにも悲し過ぎました。

多様性をビンビンに感じてきたニュージーランドから帰国したばかりの私は、せっかく帰国した日本に安心をするどころか、他人の目ばかり気にする文化を許せない、という気持ちまで抱き始めていたのです。

でも鈴木Pの記事を読み、冷静になりました。ウィルスに対する脅威は肉眼では見えないこともあります。日常的に想像力が働かない人には、目に見えないものへの恐れは、これ以上ないくらい増幅してもおかしくない。

ラグビーの多様性を礼賛した人たちは、想像力や愛情がないケースも多く、多様性という言葉をご都合主義的に使っていた可能性が高かったわけです。

しかし考えてみると、日本人どころか世界中の人たちも同様に右往左往し、多様性どころではなかったわけです。時を同じくしてアメリカに端を発したBLM(Black Lives Matter)問題は世界各地が多様性から離れている実態を端的に示した事件でした。

想像力も愛情もが働いていなかったのは、日本文化を責めていた自分でした。謙虚さから離れ、そんな日本時もおるよね、と多様性を認められない私こそ不寛容そのもの。

日本のおかげで今の自分がいるのに。日本に対して愛情を持つことで、実は自身も救われることに、鈴木Pの話は気づかせてくれたのです。

多様性は一人一人の中にある

誰しも「あなたはそのままで良いよ」と人に認められたり、言われたりしたいですよね。これが多様性だと理解しています。

多様性社会、寛容社会と言うことはいとも簡単ですが、他者(他組織)への想像力が例え働いたとしても、それを認め、受け入れるのに相当な覚悟や潔さが必要。余裕のない時にそれを持ち合わせることは簡単ではない。

なぜなら、ラグビー日本代表のプレイや人種構成、生まれた国の多様性を見て感心するだけで、多様性社会が実現できるものでもなく、多様性や寛容そのものを測る「指標」もないから。

とはいえ、鈴木プロデューサーの記事から、改めて多様性を実現するためについて考え、自ら反省し、てニュージーランで触れた多様性の魅力は絶対に手放したくないし、日本にも根付いてほしい、と強く願いました。

そして不本意なこともあるけれど、日本の文化そのもの、身の周りの事象をありのまま受け入れる、愛することで自分が楽になるかも!です。覚悟や潔さを持つこと。余裕が必要かもしれない。でも肩ひじ張らなければOK!

多様性って、ワールドカップ出場のラグビーチームや、スタジオジブリだけに必要なものではない!

大事なことは3点。

  • 「多様性」は全ての人に欠かせない要素
  • 「多様性」は他者や事象を受け入れる潔さと覚悟が必要
  • 個々の努力が安心社会へとつながる

私たちはみんな怠け者の日・働き者の日もあれば、機嫌のいい日、朝から不遇が重なる日もある。組織や家族、学校の中の役割もそれぞれ異なる。

でもどんな時もどんなところでも自分は自分でいたいし、認められたい!それを実現するためには、他者を認め、受け入れることとと、表裏一体なんですよね。

つまり、多様性に必要な、愛情や想像力や謙虚さって、結局私たち一人一人のために存在するわけです。多様性こそ、私たちのためにあるわけです!

最後に

以上、多様性のことについて鈴木Pのお話を交え、以下のようなお話をお伝えさせていただきました。

  • 多様性ときちんと向き合った
    鈴木Pの新聞記事を読んだこと
  • 多様性の本質
    他者を認め受け入れること、そのための潔さ
  • 多様性の要素1
    寛容な態度・社会
  • 多様性の要素2
    想像力と愛情
  • 反省
    想像力の欠如から不寛容へと
  • 多様性は一人一人の中に
    潔さ、謙虚さ、愛情、想像力、全て自分に返ってくる

この世の中、みんな等しくありのままで生きていきたいですよね。それを支える多様性は大事。でも他者を認めること、寛容でいること、想像力を働かせることを実行するのは案外難しい!!だからこそ、ワールドカップ後に根付かなかった。

だからと言って、そのままにしていいワケがない。

多様性社会って自分のためにある → 自分にとって居心地のいい空間づくり、人間関係を築く → 巡り巡って居心地の良い社会になってる → ラッキー!!

という仕組みがわかれば、そこに向けて一人一人の意識が少しずつ変わるだけで、いくらでも変えられると思うのです。学校で習っていないし、文化的に馴染みが薄いかもしれませんが、慣れの問題かも!と楽観視しているところもあります。

多様性=(ちょっとした)想像力+(お互い様と)認め合う潔さ・寛容さ+(他者への)愛情・謙虚さ

多様性は「あなた」であり「私たち一人一人」のためにめちゃめちゃ必要!

そして何よりあなたは、ありのままでいいんです!

新聞概要
「宮崎駿を跳び上がるほど喜ばせた」鈴木P・仕事の名言  朝日新聞 2021.8.28

鈴木敏夫著
『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言。』

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