「夕飯何にしようかな?」と毎日献立を考えること、引いては料理をすること、面倒くさくありませんか?
家族に「何食べたい?」と尋ねても「何でもいい」という返事。
そのくせ、作ってみたら「え~、これ~?」「あんまりおいしくない」
なんてコメントを返された日には、夕飯づくりって苦行でしかないのでは…。
さらにコロナ禍で夕食だけでなく「昼ご飯」まで追加され、負担が重くのしかかった人も少なくないのではないでしょうか。
日本人は、正確には食事を担当する人は料理をすることに膨大な時間と労力をかけていると言っていいと思います。一方で日本人は世界的に平均睡眠時間が短いにもかかわらず、肥満率が低く平均寿命も長い。この理由はバランスのいい食事が日本人の健康をしっかりと下支えしているのかもしれない、と海外生活を通して考えるようになりました。
ところが日本の現状を考えると台所に立つ人が一人(大抵は女性)に集中し過ぎている傾向があり、その個人が犠牲にしているもの、あるいはしてきたものがあまりにも大きいのではないかと、納得がいっていません。
なぜ料理を面倒くさいと思うのか、その理由や、日本人が諸外国と比べて頑張り過ぎてしまっていることを、海外事情を紹介しつつ、料理問題の解決の糸口を探ってみたいと思います。
自分が頑張りすぎている自覚もできないまま疲弊している「あなた」が、少しでも気持ちが軽くなり、前向きな改善ができることを願って!
献立事情を難しくしている背景事情
日本人で台所に立つ女性の多くが、献立を立てること引いては料理全般を面倒くさいと感じるのには、理由があると思っています。それは、「決断すること」があまりにも多岐にわたっている、つまりルーティン化していないから、です。
ルーティン化というのは、例えば、買い物に行く曜日、献立も曜日単位、火を使う曜日、料理をしない曜日、と曜日で決まっていて、何も考えなくても同じことを繰り返すだけ、のお決まりを作ってしまうことです。
そらならルーティン化したらええやん?と思うかもしれませんが、それができずに頑張り過ぎちゃうのが日本人(女性)!頑張りすぎるくらい頑張れるというのはある意味で素晴らしいこと。
もしこの多くの女性たちの頑張りが台所以外の分野で発揮されたとしたら、日本って今とは全く異なる社会になるかも?とすら思うのです。
話を戻して、先ほどルーティン化されずに決断することが多岐にわたっている話をしましたが、その背景事情を詳しく解説していきます。
- バランスを考えて、多彩な食材で多様な料理法で点込んだ味付けの工夫に意識がいってしまう
- 家族が給食も含め昼ご飯を外で食べる場合、メニューが被らないように心がけてしまう
- 使い切れずに残っている食材の存在のために献立変更をせざるを得ない
- 食材が調達できずに献立の予定を変更させられる
- 食べたい料理と、食べさせたい料理が異なる
- 食餌制限のある家族、子どもの年齢など、場合によっては献立が2通りになってしまう
- 料理の段取りを考えないと時間と疲労が蓄積されてしまう
- 分業化されておらず、孤独な作業である
これ以外にもあるかもしれませんが、これだけの選択を日々迫られるとしたら、その時間とエネルギーって本当に費用対効果にあってるんかな?と思わずにはいられません。
8つの項目のうち1~6まで共通することが、献立を立てること。これが悩みの大きな要因となっていることがわかります。これだけ制約のある中で献立を立てなければならないとしたら、お料理が好きな人であっても、モチベーションダダ下がりしてもおかしくないですよね。
何よりも台所に立ってお給料をもらっている人は、今の日本ではほんの一握りではないでしょうか。ボランティアとも言えるこの作業が365日近く続くだけではありません。
有給休暇もない、そしてその労働に対して感謝されるどころか、まずいというコメントや完食されずに残されてしまう、といったことが起きるともはやブラック企業そのもの?!
それでも頑張り過ぎちゃうのは、なぜなんでしょうか。日本人気質もあるかもしれませんが、台所を担う主婦層の成り立ちとも関係しているようです。次のところで料理をする人が一人に集中し、手を抜くけなくなった社会的な背景をたどってみます。
「献立の悩み」の歴史は意外と浅かった?
なぜ、料理を頑張り過ぎて面倒くさくなるかという最大の理由は献立の選択が主な要因と考えています。この献立の悩みこそが、主婦の歴史とリンクしていたりするんです。
主婦層の誕生
大正時代から昭和にかけて産業革命により大企業ができ、サラリーマン層が生まれると、大半が男性であったサラリーマン、の妻たちは外で働かなくて良い主婦という立場を得ます。
それ以前の日本社会は上流階級と庶民に階層が分かれていて、上流階級層の人たちの食事は使用人が作り、一方の庶民層は選べる食材も限られていた上に栄養学もまだなく、毎日同じようなものばかり食べていたようです。
ところがサラリーマン層の登場により、中流層が出来上がります。上流階級ほどの経済力はないので、必然的に、料理は外で働かなくて良い主婦が担うことになります。
「外でお金を稼いでいる人の方が大変で、エライ」という価値観がかなり定着していたと思われるので、食事を担当する主婦たちは、「手を抜くことは許されない」「品数を多くそろえるべき」、そういう空気感が当時は漂っていたんやろうなぁと想像できます。
メディア誕生
話はここで終わりません。中流層の誕生とともにメディアも登場し、『主婦の友』などに代表される雑誌、新聞の料理コラムと言った料理メディアが派生したのです。そこで登場する献立は何百種類もの総菜レシピや献立提案。
手を抜くことどころか、どれだけ手をかけたかで主婦としての自尊心を保とうとした人もいたのではないでしょうか。
もうこれだけで、「面倒くさ~い」とすぐ思う私など、窮屈過ぎて気絶しそうです。
高度経済成長時
高度経済成長期に入ると小売形態にスーパーが生まれ、旬のもの以外の食材の選択肢まで拡がります。
メディアも洋食や中華といった、今まで庶民が知り得なかった世界の料理を積極的に伝えるように成長していきます。同時並行して生まれた栄養学も日進月歩の勢いでどんどん発達、その知識もメディアに登場していくのです。
情報の波って目に見えないからでしょう、うんと高波なのにのまれている当事者たちが気づいていない様子が、こうして歴史をさかのぼると見えてきます。
情報量の多さもまた、料理を頑張り過ぎて料理を面倒くさく思ったり、場合によっては燃え尽きてしまう人たちをも生み出すのかもしれません。
平成~令和の事情
時代は進み、日替わり献立の料理で育った世代が台所に立つようになるものの、母親世代と異なり、仕事や趣味など家庭外活動で忙しいくなります。
それに加え、その世代はグルメブームの影響も手伝って舌も肥えていれば、海外旅行や滞在経験者も少なくない。洋食和食どころではなく、多種多様な料理に触れる経験値を存分に積んでいるわけです。
この状況で膨大な情報量の中から毎日献立を考え、料理をすることがどれほどの負担となるかは容易に想像がつくでしょう。
だからこそ「時短レシピ」という言葉から始まり、「火を使わない」「洗い物が少ない」と言ううたい文句で料理をラクにする提案をメディアが発信するようになったのです。
時代は令和になりましたが、この歴史的変遷流れを見るとなぜ料理が面倒くさいか、頑張り過ぎて疲れてしまうか、わかります。長い日本の歴史の中では、料理を頑張り過ぎちゃう女性たちの歴史は、実は短いものであるともいえます。
「料理を頑張り過ぎて面倒くさい」という世代が登場してから、今はだいたい4代目と言えます。技術とメディアのすさまじい発達によって4代前と比べて情報量は窒息するほどです。
そういう背景では自分よりもっと頑張っている人がいることをリアルタイムで見聞きすることは簡単で、自分が頑張り過ぎている自覚もしにくかったり、料理を面倒くさいと思う自分を否定したりすることにもつながりやすくなると思います。
専業主婦だった4代前よりある意味苦しくシビアな時代に生きているとも思うのです。
海外の食事事情
ここまで日本の事情を見てきましたが、一方で海を越えた国々はどのような食事情なのか気になりませんか?
日本人が頑張り過ぎていることも、なぜ料理が面倒なのかの理由を深く考えるきっかけにもなるかもしれません。
アメリカ
日本で定義する「料理」をしない人が圧倒的に多いと思います。
朝食はシリアル+牛乳。6歳くらいになれば、一人で用意して食べるようになります。子どもたちのお弁当は、茶色い紙袋に入れて持って行ったりすることが多いですが、中身は以下の通り( )内はアメリカ人の言う栄養素。
- ジャム(ビタミン?)とピーナッツバター(タンパク質)の
サンドイッチ(炭水化物) - バナナ(ビタミン)
- ポテトチップス(ビタミン)
- ニンジンなどの生野菜(ビタミン)
- クッキー(?)
以上。ピーナッツバターがタンパク源?ポテチが野菜扱い?もはや日本人的には理解の域を超えます。サンドイッチはツナ、ハム+チーズということもあります。
私がアメリカにいた時、日本人の友達にはキャラ弁の走りのような豪華弁当を持ってくる子もいて、日本人同士でお弁当を広げて食べていると、アメリカ人の先生が覗きに来て、「この黒いものは何だ?(海苔)」と一つ一つ尋ねてました。
ファックスもないその当時、日本文化はアメリカではあまり知られていません。日本は中国の一部と思っている人もいたと思います。イチローやショウヘイなど大リーグを日本人が湧かせる日が到来するなど誰も想像できない時代でした。
そんな当時の日本人は海外にいてもなお、料理を「頑張り過ぎて」いた人が相当数存在したことがこのキャラ弁の話からも想像できます。駐在員の妻たちは海外でも疲れていたのかもしれません。
アメリカ人の夕食はお世辞にも美味しいとは言えない冷凍食品をチンしただけでも料理した!と言ったりします。鶏肉と野菜に塩コショウをしてオーブンに入れて終わり、みたいな簡単料理でも「めっちゃ料理した!」と言えるレベル。
最近では冷凍食品ももっと進化し、移民増加と共に外食産業のレパートリーも店舗数も増えているようで、料理をしない人に拍車がかかっていることは明らか。
彼の地は栄養学って何?という世界。空腹は満たされたらいい、みたいな人たちが少なからぬ割合存在する国なのです。
合理的なことが好きな国民性も持ち合わせているので、手の込んだ料理は面倒くさいだけでなく、費用対効果に合わないと思っていることもあるでしょう。料理を頑張りすぎるなどと言う現象とは皆無のお国柄です。
ニュージーランド
朝ご飯は、アメリカと似たりよったりシリアル、コーンフレーク、あるいはパンにフルーツとコーヒー。
意識の高い人は、豆乳にオートミールを入れて煮出したものに、ナッツやドライフルーツなどを入れてはちみつをかけるものを朝食にする人も。食物繊維やビタミン摂取を意識しているそうです。このように栄養学への意識のある人がアメリカより若干多いように感じています。
学校のお昼事情については、基本的に給食制度がないので、ランチボックスを持って行きます。
詳しいお弁当事情をニュージーランドに20年以上お住まいで二人のお子さんを育てられたMarikoさんに尋ねてみました。昔のお話ということでしたが、お弁当の中身はアメリカと似たり寄ったりとのこと。
アメリカと異なるのは、お昼前にmorning tea(午前中のおやつタイム)があり、エネルギー補給をしていること。確かに、朝ご飯が前述したようにシリアルだけという場合はエネルギー切れして、授業に集中できない理由もわかりますね💦
そういうわけで、このようなランチボックスを持参してlunch, tea time 用の食べ物と分けられるようにしているようです。便利なんだか不便なんだか日本人的にはコメントしづらい形状です。
もう一つアメリカと異なるのは、サンドイッチに塗るペースト。Marmite(イギリス発)あるいは、Vegimite(オーストラリア発)の2種類があり、味は「海外版」味噌のようなもの?!諸外国の人々にはすこぶる不評ですが、現地を象徴するソウルフード。とはいえ現地人でも好き嫌いが分かれるようで、日本の納豆のイメージと被ります。
さらにMarikoさんのお話によると、ランチは学校で注文もできるものの、ヌードルを注文したら2 minutes noodles(即席麺) がアルミの容器に入っただけとのこと。日本ではおやつとすら呼べないシロモノです。
ニュージーランド留学時代の話
2019年、私の留学時の食事事情もほぼ同じでした。tea time 休憩でバクバク果物や甘いクッキーを食べている人たちを見て、朝食しっかりとる私は、間食は太るで~、果物と言うても太るで~なんて思っていたりしたものです(笑)…と言いつつ、ちゃっかりご相伴にあずかっていましたが。
自炊できる環境になってからは、Japan Market(日本食材店)に行って日本から輸入したお米を炊いてお弁当にもっていったりしていました。写真は二つとも自炊したものです。当たり前ですが、納豆は冷凍で、キムチ同様、中華食材店に必ず置いてありました。
この写真は豪華な方で、これよりもシンプルな和食だけの日も多かったですが、海外にいても日本食を食べられる幸せに勝るものはなかったです。
ニュージランド直近事情
直近事情を少し調べてみると、学校によってはそのmorning teaの前にbrain food(ブレインフード=脳機能改善食品)の時間をとるところもあるようです。brain food の代表例は果物、スティック野菜、ドライフルーツなど。ナッツ類はアレルギーの子への配慮で禁止するケースもあるようです。
近年では所得層の低い地域の公立学校での無料給食も始まりました。実際の統計データまでは探せなかったのですが、現地の有名メディアで賛成の声を掲載しているものがありました。詳しくはこちら”Free school lunches: One free meal a day means one less thing on parents’ plates – Kiwi mum”「無料ランチ:一日一食の無償提供とは親の仕事が一つ減らせるということーNZ人母の言葉」(Newshub 2021.4.5付より)
この動画の中で子どもたちには、好みのメニューがあることを喜び、親たちも「お弁当の負担が軽減された」と喜んでいるのは驚愕です。あの程度のお弁当でも準備するのが面倒くさいのならば、日本でお弁当を作っている人たちはどうなる?!
動画内でTV出演している子ども自身も「お母さんのお弁当より良い」と明言し、その理由が「給食は毎日異なる献立だから」というもの。つまり、お母さんの手弁当は毎日同じだったということでしょう。
ちなみに前述の子どものお気に入りメニューの第二位が”Katsu Chicken”=「チキンカツ」とのこと。和製英語ならぬ、英製和語!そもそもチキンカツって日本語なのかな?
また、インタビューの中で親御さんがコメントされていて気づかされたことは、お弁当の中身がほとんどないお子さんも以前はいたのに、今は全員が同じものを食べているのでお弁当の時間に引け目を感じる人がいない、ということ。
前述のMarikoさんも、お子さんたちの中高にbreakfast club という朝食無料サービスがあったようです。でも「そのclubで食べている=低所得層」のレッテルを貼られてしまうので、年頃の子にとって行きにくい子もいたかもしれないなと感じました。
日本では当たり前の給食が、実は誰かを救うことにもなっていたかもしれないわけです。
給食費の話に逸れますが、ニュージーランドの給食は無償なのに対し、日本人は子ども一人当たり、月々4,000~4,500円ほど家庭が負担しています。自治体によっては無償化しているところもあるようですし、教育予算に関する議論の争点になっていることは間違いないようです。
日本の給食制度が有料といえども、料理を頑張り過ぎていたり面倒くさいと思っている親たちにとっては大いなる救世主であることは間違いありません。
最後にニュージーランド人たちの夕飯。これも、アメリカと似たり寄ったりですが、レンチンで終わりという家庭はそれほど多くない印象を受けています。ただ、1回の夕食に並ぶ品数は少ないし、少ないレパートリーをローテーションしているという感じでした。
やはり日本人の家庭料理は凄まじい手のかけ方だと感じます。面倒くさくない”わけがない”!
台湾
台湾は、日本からは想像できないほど朝食の外食産業が盛んです!中国語で朝食を意味する“早餐(ザオツァン)”のお店「早餐店」が街中にいくつもあり、早いところは5:30くらいから営業しています。
日本の外食産業とはちょっと事情が違うと思ったことは、どのお店もメニューが似通っていたことです。「朝ご飯=○○」というテッパンが台湾人の間に浸透しているからなのかもしれません。日本人の朝食とは凡そ異なるその内容も面白かったので、いくつか紹介させていただきます。
まずは蔥抓餅(ツォンジュアビン)
卵の入っていないクレープ生地に葱、卵、ハムなどを好みで追加して焼いてくれます。素朴な味ですが日本の葱のイメージで香りを期待するとちょっとガッカリすることもあります。
お次は、鹹豆漿(シェントウジャン)
しょっぱい豆乳に揚げた棒状のお麩のようなものを浸して食べます。台湾は汗をかくことが多い気候なので、朝から水分+塩分を摂るのは理に適っているのでしょう。日本でいうカロリー高めのお揚げのお味噌汁と言ったところかもしれません。
ランチの典型はブッフェ式自助餐(ヅゥ ヂゥー ツァン)
私も随分と助けられました。昔の日本にはよくあったお総菜屋さんのイメージです。ご飯を好きなだけよそって、おかずは量り売り。
ベジタリアンが少なくない台湾では、ベジタリアン用のコーナーもあったりして、同じ野菜でも油で炒めず茹でたものが多かったです。ベジタリアンでない私もこちらが好みでした。
学校のランチ事情は現地の友人Susanから教えてもらいました。彼女が学生の20年前は、小学生でもお弁当持参だったそうです。お弁当のイメージは日本に近いと思いますが、ちょっと異なるのは前の晩に翌日のお弁当を作るケースが多いということ。
とはいえ、アメリカ、ニュージーランドよりは手間がかかっていることには変わりなく、彼女のお母さんは働いていらしたので、小学校の頃からのお弁当作りは相当面倒くさい家事だったのではないかと想像できます。
今の時代は日本に似た給食制度も取り入れられているようです。お弁当持参も可能とのこと。台湾でも自治体によって給食の無償化できているところもあるようです。
台湾の夕飯事情は、ホームステイしたことがないのでわかりませんが、作る人の方がどちらかというと少ないのかな?という印象です。全て私が昼ご飯でお世話になった自助餐や、その他の飲食店で購入したり、食べたりして済ませるケースが多いようです。
話は若干逸れるのですが、現地のお料理は味付けが薄いことには驚きました。汗をかいているので日本人以上に塩分は必要だと思ったのですが、裏を返すと日本での食事は和食離れしていてもなお塩分を摂り過ぎているのかもしれません。
お料理は面倒くさい、という考えは共働きが増えている社会においては普遍的なものと言えるでしょう。
フランス
住んだことはないものの、フランスの様子を少し調べてみました。
フランス人の中には「私が輝いてこそ家族が輝くのよ!」と平日には自宅で女性が料理しない家庭もあるそうです。栄養バランスよりも、自分の心のゆとりを優先するということでしょうか。フランスでは女性就業率が80%以上ということもあるでしょうが、日本も直近データでは70%を越えています。(2022年5月労働力調査:総務省統計局より)
料理するとしても、冷凍食品に頼ることも多いようです。チェーン展開されるほど充実した品ぞろえの冷凍食品専門店もあるようで、利用者も少なくないとのこと。
パン、チーズ、サラダ、ハム、以上。このように火を使わない食事で済ませることもできるようです。味付けもシンプルで塩・コショウ・酢・油を手早く混ぜるだけで、市販のドレッシングも日本ほど種類がないようで、肉や魚を調理するときも塩コショウで焼くだけのシンプル料理で済ませています。
フランスでは平日は簡素な料理で済ませているのに対し、週末は親戚や友人たちを食事に招いてごちそうをいただく家族が多いようです。その準備は家族総出で関わることがフランス流。火を使えない子供はテーブルセッティングやおつまみのカナッペづくりを担当。
このような週末料理の文化自体も家族の参加意識も日本とかなり異なります。ここには「料理は面倒くさいものだからみんなで分担するもの」、「一人の人が頑張り過ぎないようにするもの」というお互いを思いやる精神が根底に宿っているように聞こえます。
給食についても少し調べてみました。学校によっては前菜、メイン、デザートのあるきちんとした食事をしっかりと提供してくれるところもあるようです。それだけにとどまらず、献立表には、夕食メニュー案まで併記されているというではありませんか!!
これがあると、日本の台所に立つ親たちはかなり救われたりしないでしょうか?日本でも同じような夕食献立例の提供に取り組んでいる学校もあるかもしれません。ご存知の方よければ教えてください!お待ちしています!(^^)!
解決の糸口・提案
各国の事情を見てみると、日本の食卓はどうも協働作業で成り立っているところとはほど遠いこと、食べる側に作り手の負担の大きさへの想像力や意識が非常に低いのではないかと思わされます。
面倒くさいと思いつつも、料理を頑張り過ぎるほど頑張ってくれる日本人の親たちの料理によって子どもたちの健康が支えられていることはわかりますが、あまりにも犠牲が大きすぎるように思えてなりません。
このお話を読んで海外事情の方が快適そうだから、移住しちゃおう!なんてできる人はまずいないでしょう(笑)。そこで、日本に居ながらしてできることをいくつか考えてみました。
- 台所に立つ人が夕飯や献立を「ねばならない」「あるべき」という発想を一先ず横に置く。
栄養バランスを整えるべき、調理法と品数は多様であるべき、冷凍食品は避けるべき、同じ献立は飽きられる、と言ったことに捉われない。 - できることだけする
平日だけ料理をする、火やまな板を使わない、味付けは塩・コショウのみ、子どもでも作れる、といったように作業を限定する。 - 気乗りしない日は作らない。そこに罪悪感を抱く必要はない!と意識する
企業勤めの人たちは有給「休暇」がありますが、食事を作る人にはありません。自ら「休暇」をとって良いのです!(どの道「有給」ではないのですが💦) - 非協力的な家族の意識改革
上述3つに取り組む中で、一品作る、買い物に行く、献立を立てる、後片付けをする、など業務分担をお願いしたり、ご飯を全く作らない日を週に2日設けたり、年に数回長期休暇宣言する、など何らかの取り組みによって少しずつご飯を作らない人の意識を変えていく
たった今からすべてのことをすることは不可能ですし、必要はありません。実現できそうなことから少しずつ取り組むことはできるように思うのです。
最後の4.「家族の意識改革」が一番大事だと思うのです。
台所に立つ人がどうしたら機嫌よく生きられるか、どうなりたいか、そのためにはどうした欲しいか、を明らかにすることです。それを明確にすると家族にも理解してもらいやすく、料理に関する時間を減らすしかないと、分担や協力をしてもらいやすくなるでしょう。
現状を変えるので大変なことです。でも、自分の為ではなく、家族一人一人のために料理を分担することが必要、と発想を転換させてみてはいかがでしょうか。不慮の事故や病気で自分が長期間台所に立てないことが起きることを考えたていただきたいのです。
家族が寂しい食卓を囲むこと、あるいは囲むことすらしなくなることが想像されるでしょうか?もしそうだとしたら、突然起こる不測の事態に対処できるよう分業体制を整えていた方が、家族みんなのハッピーに必ずつながるはずです。
自分が楽したいからと思われることは言いだしにくい、というのであれば、料理におけるリスクマネジメントが家族の健康と幸せをサポートするという捉え方をしてみて、ご家族に提案してみてください!今から少しずつでも変えていくことでこの先の将来はプラスに変わっていけるのです。
「働き方改革」などの社会構造の変革を世間やメディアではよく謳われていますが、個人的には食卓づくりの意識改革が最重要課題だと思っています。
家族によってその食卓の形態は多様で良いと思うのです。全員が全く料理をしたくない、というのであればそれなりの対策をみんなで考えればいいのです。
病気してから病院に行くより、病院に行く時間や労力を節約するために栄養のとれた料理をしようという家族は、そのために家族で役割分担することを考えればいいのです。
その中間で、週末だけバランスの整った料理をするという家族もいるかもしれません。それぞれの考え方に良い悪いはないと思っています。大事なのは家族全員が食卓や食事を「自分事」として捉えることなのですから!
各国と比較しただけでも、日本では「料理を面倒くさい」と思う人が多いことがわかります。お母さんだけが一人で頑張り過ぎる時代から卒業しませんか?
まとめ
以上、日本人が料理を頑張りすぎていること、なぜ料理が面倒くさいのか、献立の悩みの歴史的背景からその理由をひもとき、海外で私が実際に見聞してきた例を紹介させていただきました。
日本に長年いると、日本の当たり前に良くも悪くも染まって「ねばならない思考」に陥ってしまうことって少なくないと思います。
お料理が何よりも好きならいざ知らず、少しでも苦痛に感じるのであればその時間や労力を他の活動に充てた方が、料理をする本人も輝くし、そのことによっては家族も、引いては社会も輝くと思うんです!
このブログをお読みになって料理を頑張り過ぎて心も身体も疲れている「あなた」が、あなたらしく「輝く」日々を送れますように祈っています❣
❕Special Thanks❕
New Zealand Marikoさん
Taiwan Susanさん
現地情報を教えてくださいまして、どうもありがとうございました。
本記事参考ウェブサイト
https://houkagoenglish.com/brainfood/
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86624
https://toyokeizai.net/articles/-/80266
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