英語教師には帰国子女もいる!英語遍歴、CELTA取得背景の紹介

英語学習

私は帰国子女です。2歳~8歳までをアメリカで過ごしました。

「帰国子女」というとこんなイメージありませんか?

  • 国際舞台で活躍してキラキラ
  • 英語を日本語と同じレベルで難なく苦労せずに使える
  • 入試も帰国子女枠で合格
  • 帰国子女専門塾や特別な英語授業を受けられる

事実としてそういう人もいます。でもそこに全く当てはまらない「帰国子女」もいる。それが私(笑)。

中高教員として10年間教育現場を経て、ニュージーランドで英語の研鑽を積み、現在は学校に所属することなく英語講師として仕事をしています。

英語を教える立場の人に帰国子女はあまり多くありません。日本人の多くが日本語教師にならないようなものではないかな?

だからこそ、帰国子女が日本で英語教師として学んだこと、大きな転機となったCELTAという資格のことなど私の英語遍歴、自己紹介としてお話しさせていただきます!

帰国子女の方で、日本(あるいは外国)で英語を教えたい人、帰国子女の先生をお探しの方、何かのご参考になればうれしいです。

また一言で帰国子女にも英語力の多様性やレベルが色々あり、キラキラ感もなくて、至ってフツーの人もいるんや!と安心?していただければ幸いです。

英語教師になるまで

私は日本に帰国した小3以降は日本で生活し、中高の教師になるまでは輸入に関わる仕事や、海外拠点をいくつか置く日本企業で比較的英語を生かした仕事に就いていました。

帰国後はほぼ100%日本語しか使わない生活でした。

英語の教師になるまでどのように英語と関わってきたのか、その環境と英語に対する気持ちの変遷をお話させていただきます。

英語との出会い

私は2歳から小学校2年生までアメリカ西海岸で育ちました。レーガン政権下、一ドルも200円越えの時代。世代がバレちゃいますね(笑)

日本語よりも英語の方を早く言語として獲得したため、英語を外国語として学んだという経験はありません。これは一見アドバンテージです。

ところが、このことが英語を母国語としない人(=多くの日本人)に英語を教える際、致命的な痛手になることを、のちのち知ることになります。

日本の英語教育のおかげで

日本帰国後の小・中・高・大の教育を全て”漏れなく”日本で受け、中学受験も大学受験も多くの日本人と同様に経験済み。帰国子女枠で受験するには、どの入試も年数が経ち過ぎていました。

当時は、中学・高校に外国人の先生など一人もいらっしゃらず、英語ネイティブの方と会話をすることは、帰国後の10年以上、ほぼ皆無でした。

大学受験は一般入試での受験。英語においては、他の同級生に比べたら学習負担が少なかったことは事実ですが、受験英語は好きか嫌いかと言えば、嫌いな部類でした。

この帰国後10年間は、かつて日常的に英語を話していた時の自分を忘れるのに十分すぎるほどの時間で、さらに自分には不向きな受験・教育システムは、私に英語を敬遠しよ、という意識へと変わっていきました。

帰国子女であっても英語学習を回避したくなる理由はいくつもあったのです。

  • 日本の学校での英語学習の目標が大学受験合格
  • 合格のために重箱の隅をつつくような文法を覚えなければならない
  • 難解な文法問題を解けても、平易な日常会話に太刀打ちできない受験生たちのアンバランスな状況
  • 受験英語の長文問題は新聞の社説のような堅い内容で楽しめなかった
  • 受験英語に取り組んでも、正真正銘の長文(10万語前後のペーパーバックなど)を読む体力などは全くつかなかった
  • 発音の悪く、発音指導できない先生が多く、引いては同級生たちの発音もひどいものだったこと
  • 英語の本質的・知的面白さを教えてくれる人との出遭いがなかった

大学4年間も似たような状況で、上述の「合格」という文言を「単位取得」に置き換えただけという状況。日本で名の知れた大学でもこのありさまでした。

大学でネイティブの先生にこそ出会いましたが、英語熱も英語力もダダ下がり。私と同年代ならば同じような状況の帰国子女は少なくないはずです。

現在はネットの発達のおかげで、英語の楽しみを個人でいくらでも模索できます。

帰国子女をターゲットとした、つまり帰国子女が楽しめたり、英語力をますます高める教育内容の学校や塾もたくさん登場してきました。

さらに帰国子女ならではの活躍の場(アルバイトなど)まで驚くほどたくさんあり、当時とは帰国子女を取り巻く環境がこうも異なるのか、と昨今の帰国子女たちは、心底「うらやま」!!

英語を好きになれないまま英語とは無縁の生活を送っていた私が、ある出来事をきっかけに英語の教育産業に足を踏み入れることになります。予想もしていない形でその日はやってきました。

英語教師を選んだ理由

それは甥の誕生でした。しかもクリスマスの日!!

そのほかに英語教師を目指した理由は二つあります。

  • 自分の適性への自覚
  • 文法の学び直しの必要性

甥の誕生

小さく、はかない命の誕生を間近にした時、この命が5年後、10年後育つ社会に関わる責任があると強烈に自覚したのです。命の成長に関わり、次世代のために貢献する生き方を強く望んだ瞬間でした。

この時が来ることを見越していたのかもしれません、英語の教員免許を実は大学時代に取得していました。

サンタさんは望んでいなかった面白いプレゼントをクリスマスに届けてくれたのです。

自分の適性

ところで、自分は学校の先生に向いているのか?これは自問するまでもなく、YESでした。思い込みですね(笑)

子どもの頃、自分自身もチビッ子だったにも関わらず、大した年の離れていないチビッ子たちを集めて面倒を見たり遊んだりしてリーダーシップを発揮することが大好きだったのです。

色々と日々ありますが、この思い込みは概ね正解なのではないかと捉えています。

子どもたちの膨大なエネルギーと喧騒に疲弊しつつ、それを上回る喜びや活力を与えてもらったり、精神年齢が実は彼らとあまり変わらないことも自覚できたし(笑)

年齢が離れている分、時には親心をもって子どもたちの成長を感動できりことも何にも代えがたい幸せです。

もう一つの適正は、英語の発音。英語力は全体的に衰えたものの、発音だけは維持している自覚がありました。※フォニックスを使った発音指導にこだわり、暗礁大会などで結果を出すことができています。

学生時代に発音の良い指導者と巡り合いたかったことへのリベンジ?でもあり、その指導者こそ現場に必要なのです。それも日本語話者だからこそできることがある!

※フォニックス:音とつづりの法則性を理解することにより、①初めて見た単語の発音ができる ②耳で聞いた単語をつづれる の2点を目的とした音声学習体系

文法の学び直し

英語は感覚で理解しており、文法力の著しい欠如については自信しかありませんでした(自信持つな~😠)。

これを機に徹底的に学び直すぞ!と誓いました。

教師になるまでbe動詞と一般動詞の違いや、複数形のsの規則性を全く理解しないまま、入試をクリアしてきたことに無自覚で、友達には驚愕されました。

でも、逆のパターンを考えると、日本人が日本語の文法を外国人に説明することって不可能では?

1ぴき、2ひき、3びき。「匹」がなぜ活用するのか、説明できますか?私たちは文法理解をもとに日本語を話しているわけではないわけで。

英語を母語とする人、そして帰国子女も英語に関して全く同じパターンです。

結局私は、基礎的な文法の理解と生徒目線で説明可能となるまでに5年以上かかりました。今はどの文法を何年生で習い、英検の何級で登場するかを完全把握してます!

学校現場が与えてくれたもの

英語ということと少し離れますが、私のキャリアと関係するので、学校現場についてお話します。

その前に、先生という仕事は、生徒を教えることでもあり、でも同時に生徒からも教えてもらっている立場でもある、ということが一番大きな収穫であり、喜びでした。

そのほかに現場で学ばせてもらったこと、そこで直面した問題について紹介します。

恩師たちへの感謝

英語教員として中学・高校一貫校に身を置かせてもらったことは日々驚きの連続でした。

かつての自分の学校生活には多くの先生方の多大なる献身があったことを遅ればせながら痛感、本当に頭が上がりません!!先生たち、どうもありがとう!!!

思い出深い様々な行事の準備が、計画段階から後片付けに至るまで多岐にわたり、かつ長期的であったこと、そのためにはプライベートをかなり犠牲にしないと成り立たなかったであろうことも身に沁みて理解できます。

当時はIT技術も格段に劣っていたために人海戦術に頼らざるを得ず、数々の業務にどれほど時間と労力を費やしてくださっていたかと気の遠くなる思いです。

生徒達が教えてくれたこと

生徒達が、英語に対する反応や感覚を日々教えてくれたことは新鮮な驚きの連続。

自分が英語と出会ったのは2歳。ほぼ母語に近い環境下で習得していたことは、多くの日本人と著しく異なる環境だったことに改めて気づかされます。

生徒たちに寄り添うことは、英語を教える上で何よりも重要かつ必須事項なのに、幼いころにすでに英語と隣り合わせだった私には、未知の言語と遭遇する感覚がつかめない!

これは英語を母国語としない人に英語を教えるのに致命的になるわけなんですね…(涙)

とはいえ、経験値を重ねていくうちに、生徒たちの感覚をつかみやすくなっていきました。

英語の発音に懸命に取り組み、クラスメートとの英会話を楽しむ生徒達の様子を肌で感じ続けたこで、この先どんなにITが進んでも対面コミュニケーションに優るものはないと確信するに至っています。

授業を一番楽しんでいたのは自分でしたが、実は生徒にはそんなことお見通し。こんな私を面白がってくれていました。これは何よりもありがたいことです。

人間同士の関りにおいては、お互いが楽しむことが最も大切で基本的なことだと教えてもらいました。

生徒の指導力

肝心の指導についても、相手は思春期の12~15歳。

対教師への反抗は言うまでもなく、宿題やその他資料の提出や生活全般の規律を破ること破ること!

その他、対人関係のこじれ、学校不信、不登校、例を挙げればきりがないほど毎日色々な出来事に生と共に直面し、多くの時間と労力を費やしました。

一筋縄ではいかないことの方が多く、年単位かけて試行錯誤の連続の日々。

問題が大きいほど時間が解決してくれることもわかり、自分でコントロールできる範囲とそうでない範囲の線引きをすることで、無駄なエネルギーを使わずに済むようになりました。

もちろん、何も動いていないように見える月日が長いので、辛抱が必要ですが。

自分の限界を知る

英語を教えること、クラス運営などについてはだいぶ慣れてきたのですが、自分の中で起きている小さな問題の数やその重みが日増しに膨らんでいきました。

  • 小学校英語導入と大学入試改革のはざまで揺れる
    小学校英語の教科化が始まり、どういう経緯で英語学習をしたのか、英検は取得していても一癖も二癖もある生徒がどんどん増えていました。
    小学校&大学入試、ともに英語改革の真っただ中。そのはざまにあるのが中・高6年間。さらにその入り口である中1英語の位置づけを定めきれず、自信を失いかけていました。
  • 外部検定試験人気の高まり
    外部検定試験は受験にもモチベーションアップにも大事なのですが、学校という現場はカリキュラムをこなすことが最優先。生徒達にそのサービス提供をしてあげる時間と余裕がないことがストレスでした。
  • 英語の本質的な面白さを伝えたい
    昔の自分が、英語の本質的・知的面白さを教えてくれる人との出遭いがなかったことを残念に思っていた!からこそ、逆に自分が生徒にとってその立場になれているのか?常に自問し、苦しんでいました。
  • 自身の英語力の低迷
    中学生を主に教えていたため、高い英語力は求められません。英語教師としてプロを語る以上、その当時の自分の英語力はプロとして失格だといつも感じていました。
  • 余裕のなさ
    時間、英語力の向上、プライベートの確保のすべての余裕がない状況が続き、こんな状況で生徒に良いサービスを提供していないことを自覚していました。

上述の数々の問題は、学校組織に身を置き続けたら解決することは不可能でもあると気づきました。

専任教員としての立場では専門科目の研鑽をする時間は本当にわずか。私の場合、休日を使って翌週の授業準備をしていました。その休日すら、クラブ活動やその他のイベントでつぶれることが平均して月に2~4日。

どう折り合いをつけるか?一先ず立ち止まろう、と決めるより他ありませんでした。

新たな活路を求めて

学校現場を離れてからの課題は3つありました。

  • 英語力向上
  • 英語の指導力向上
  • 生涯続ける仕事を求める

全て同時並行にできないことはわかっていました。同時に短期留学の引率で心惹かれてやまないニュージーランド渡航への気持ちもますます高まっていました。中高生に留学を後押ししていた自分が留学経験がなかったことも、渡航へと気持ちが傾きました。

そんな折、CELTA(セルタ) という英語教授資格があることを知りました。

CELTAとは、イギリスの名門、ケンブリッジ大学を承認機関とする英語を教えるための資格。国際的な英語の教員免許のようなものです。

問題は、資格授与の対象者。英語を母語とする人、あるいは同等の英語力を有すると認められた人です。

同等の英語力を有すると認められた人というのがネック!!この判断指標は、IELTS(アイエルツ)という同じくケンブリッジ大学公認の試験で7.5以上のスコアを取得すること。(ちなみに英語圏の大学の留学生受け入れ基準のスコアは、5.5~6.0前後。)

CELTAで対象とする生徒は、英語を母語とせず、かつ基礎的英語力(中1~2レベル)を有する人たち。日本人以外にも生徒が拡がることは、自分の指導力向上につながる可能性を拡げてくれると確信しました。

幸いにもニュージーランドはイギリスの自治領。CELTAの資格取得コースを開催している教育機関はいくつかありました。

ついに渡航を決めました。

なぜニュージーランドなのか

短期間引率で訪問しただけのニュージーランドになぜそこまで魅入られたのか。

詳しくは別の記事で書かせていただきますが、離れてもなお、ますますその魅力は増しています。

人口よりもヒツジの数の方が多いというイメージ先行のニュージーランド。人口500万人、日本で言えば全都道府県第9位の福岡県の人口を少し下回る数。

ここでは私にとって魅力だったことをかいつまんでご紹介します。

  • 魅力的な英語
    アメリカ英語とは発音も、使用単語もかなり違う!
  • 治安がいい
  • 穏やかな国民性
  • 娯楽が少ない
  • 水・食べ物が安心

ニュージーランド以外の出身者の中には、いつか移住したい人もいるし、今度再会するときはニュージーランドでね!と約束している人もいる。彼の地は世界の多くの人にとって魅力満載なのです!

英語力向上の苦労話1

私の場合、中高レベルの英語を越えた英語力向上が必要でした。 ネイティブレベルの英語力が必要ですから、その準備に1年ほどかかりました。

具体的に何が足りなかったのか?

単語力の欠如が甚だしい。大学受験を通してある程度あった単語力は、とっくに落ちているし、あったとしても、圧倒的に足りない状況。

毎週見たこともない、初めましての単語を40個憶え、それを忘れては思い出し、同時並行にまた新たな40個を憶え、という砂をかむような地味な作業を合計2,000語、毎日繰り返しました。

そしてわかったことが二つ。

1.自分は記憶の定着が悪い

2.初めて単語を覚える作業をしたものの、多くの日本人は受験生時代にすでにしていたこと

英語力向上の苦労話2

日本人が一番苦手とする英作文にも苦労しました。

日本語の作文を書くこと自体、手ほどきを受けたことがありません。

模範解答をひたすら真似て書く、書くネタも浮かばず、日・英両方でネット検索に頼ることも。

もう一つ苦労した理由は、良質な英文の読解量が極端に少ないこと。受験英語だけ読んでいても、良質な英文を書けるようになるはずがないのです。新聞記事レベルの長さと内容に触れる必要がありました。

ついにCELTA受講の切符!元をたどると英検?

初めの半年は日本で、後半はニュージーランドで英語学習を継続、ようやくCELTA受講の切符を手に入れました。

それが意外な形で転がり込んできたのです。前述した通り、IELTS7.5が最低でも必要なはずだったところ、語学学校の先生方が、私のことをスコア不要で受講をみとめてくださったんです。(先生方、ホンマにありがとう!!)

CELTA受講資格であるこのIELTSの試験、受験料が2万円を超えるだけなく、トータルの所要時間が4時間超!!!免除はどれほどありがたいことか!

話を英語学習に戻すと、初めの半年の日本での学習が、後半のニュージーランドでの学習の大きな支えにもなりました。

何よりも英検の1級を教材として学習したことが、結果的に総合力の強化として役立ったのです。また、英検に対する確固とした考え方もここで培われました。

「英検は合格は必要ない、あらゆることを利用してナンボ!」

英検のお話は別途書かせていただきます。

また何よりもニュージーランド渡航、CELTA受講という明確な目標があったため、苦しいプロセスも乗り越えられたし、それ自体も楽しむ余裕すらあったことは驚きの事実でした。

改めて私の「大学受験合格」という目標がいかに空疎ものかということも思い知らされました。

大学入学後のイメージは何となくあっても、卒業後の長い人生を見越したビジョンは皆無。我ながらタイヘン情けない話です。

CELTAの概要

私が受講したCELTAの講習は、1カ月間の集中的なコース。週1回、1年間かけた働きながらのものもあります。

月~金の午前は講義があり、午後は実際の生徒達を対象に模擬授業、夕方から模擬授業の反省、翌日の模擬授業の準備。土日は、その週の平日午前の講義を復習+発展させたような課題が、週明け提出として課されます。

毎日日付が変わるまでそれぞれの準備に追われ、睡眠時間は必然的に削られていました。

読む、書く、聴く、話す、全て英語。日常的には使わない教育や言語に関わる専門用語が飛び交い、文献などは翻訳があっても難解やなと苦心しました。

なお、このCELTAコースは大の大人が公衆の面前で涙したり、ドロップアウトしたりすることがあることを事前情報として仕入れており、身構えていました。終わってみると、そのような事態は起きず、意外と楽勝。

シビアな指導を受けてしょんぼりしたり、課題量の多さに「死ぬほど大変!!」と日々こぼし、秘かに涙する仲間がいたことは事実で、「公衆の面前で号泣」は不思議ではない状況でした。

楽しい反面、厳しい側面も持ち合わせていたことは事実でしたが、中・高教育現場の激務と比較すると、遥かに楽だったということです。

CELTAの詳細は機会を設けてまた紹介させてもらいますね。

指導力向上

CELTAの受講を終え、無事に資格も取得できましたが、即指導力が向上するわけもない。実践あるのみという状況になりました。

幸いにも台湾での語学学校の英語講師としてそれらを生かす機会が与えられたのです。

小学生から大人まで教える機会に恵まれただけでなく、CELTAを生かすべく台湾人の大人の生徒さんを担当させていただけたことは、最良の実地訓練となりました。

生涯続ける仕事

今は、語学学校の英語講師業、個人レッスン、また書籍執筆の手伝いなど、フリーランスとして働きながら、小学生向け英語教室の開講を計画、準備中です。

自分が受けたかったようなレッスン、私自身が大好きな洋書を楽しむコースも検討中です。

小学生以上は母語(日本語)の助けなしでは外国語の定着・向上は難しいと信じています。一旦小学校に上がると、母語の読み書きをする時間が圧倒的に長くなるため、母語の力を借りないと外国語の習得に時間を要してしまうのです。

小学生以上の英語初心者が英語を英語で理解することには一定の時間の無駄が生じます。

人間は知的欲求の高い動物なので、一般的には、小学生以上の場合、英語の内容を日本語で理解でき、かつ、使い方もわかってこそ、英語で歌ったりゲームをしたりすることに面白さを感じるものです。

最後に大事なこと。

人間は忘れる動物!自分自身が誰よりも痛切に感じているくらい、記憶力が悪い場面しか思い当たらない(笑)

生存に関わらないことは基本的に忘れたっていいんです。

だからこそ、徹底的に復習にこだわり、一度身につけたことを忘れて、憶えてを繰り返すことで定着してもらうことを大事な柱として取り組みます。

メッセージ~適正投資してますか?英語とどうつきあう?~

英語遍歴を交えた自己紹介はここまで。長いことお付き合いくださり、どうもありがとうございます。

そんなあなたに受け取ってもらいたいメッセージがあります。

英語の壁にぶつかって悩んでいる老若男女を担当させていただいて一言。

英語力を重視するあまり、必要以上に自分をダメだと思わないで!ということ。

英語はすべてではありません。英語講師として逆説的なこと言うてる?!はい、確かにそうです。

でも、英語は究極のところ楽しむことができなければ、付き合う必要はないと心の底から思います。英語の代わりになるものっていっぱいある!

中国語やフランス語もあり、何なら、歌や踊り、絵画や美術が言語の役割を果たしてくれる場合もいくらでもあるんです。

真面目だからこそ英語に無理に付き合い、結果、遠く離れてしまった人たちは少なくない。必要以上に英語産業に投資する必要はなく、その投資を人生楽しむことに充ててほしいのです。

でも本音は、一人でも多くの人が英語学習、英語と楽しく付き合ってほしい。

大学受験を機に英語から離れた私が、英語にしっかりと向き合った経験があるからこそ、お伝えできることあります。

最後に注意していただきたいことが一つ。

英語力の向上は楽しいだけではなく、時間と忍耐も必要。英語関連ビジネスがこれだけ乱立?しているのは、このカラクリと消費者心理を熟知しているから。

英語を学び続けたり、向上させるにはポイントとコツがあります。大人と子供では完全にアプローチ法が異なります。過剰投資の必要はゼロ。大事なことは2点。

  1. 英語力を向上させる目的は本心から?覚悟できている?
  2. 英語の投資は費用対効果に見合っている?

これを自問して明確にすること。これがスタートであり、ゴールです。

もしアドバイスや、ご相談、レッスンのご希望などあれば、お問い合わせからコメントをお願いします!

最後に

以上簡単にまとめます。

  1. 英語教師になるまで~学校現場~その限界
  2. 新たな活路を求めてCELTA取得まで~取得後~現在
  3. 私からのメッセージ~適正投資してますか?英語とどうつきあう?~

これからつづらせていただく「英語学習」記事を読まれた方々が、英語の学習を通して、より幸せな時間が紡がれることを願っています。

その英語学習の延長に、将来のどのようなご自分を思い描きいていますか?

この世に残された時間のうち、英語学習にどれだけの時間を費やしますか?

英語を通して一人一人の役割が全うされ、それぞれの大事な資源が適正に費やされ、それが総じて社会全体が健全に循環することにつながる、そんな社会を願ってやみません。

帰国子女である私の英語遍歴を生かし、これから英語教師として有用なメッセージをこの先お届けしたいと思っています。

こんなフツー出地味な私ですが、一緒に英語について色々と考えて参りませんか。

この先を楽しみにしてくださったら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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